ゲームに求めるリアルさとは?(ウミノサチ論)
こんばんわ、ウミノサチです。
アクセスカウンター設置記念に一記事書こうかなと思いましてやって参りました。
全然関係ない話ですが、ウミノサチは大変面倒くさい人間です。
不満に感じたことはだらだらと他人に垂れ流し、ハッチャケたかと思えばすぐにブルーになります。
(最近学校のテスト返却のおかげで大分自己嫌悪に陥ってます。制作に影響が出なければいいですが)
勉強が出来なければ運動もできないんです・・・。しかもクルクル頭。いろんな意味で。
これから何か、無意識のうちに微鬱な記事を書いてしまうやもしれません。お気をつけて。
本題に入りましょう、タイトルについてです。
最近、自分が今までにプレイしてきたRPGを思い返しながらよく思うんですよね。
「一歩外に出たら魔物がいるような世界」や「明らかに人・家が少なすぎる王国」とか。
ゲームのプレイ中は気にも留めないようなどうでもいい話ですが、
制作する立場に立って参考素材としてゲームを見ると、「むむむ?」となるわけです。
どんなRPGでも、魔物と主人公含む一般人が戦う理由って、あまり説明はされてないんですよね。
「襲ってくるからぶっ殺してるだけですわ」という、投げやりな感じで。
最近は人型の魔物(ゴブリンなど)や、もはや人と戦うRPGって結構ありますよね。
ラストストーリーあたりは、人型がとても多かった記憶があります。
人間のカタチをした二足歩行の生き物を、ためらいもなく殺せるのか?と思ったりしてます。
主人公が元軍人や暗殺者でもないかぎり、対峙したとたんに容赦なく武器を向けるのってあまりナイと思うんです。
だって主人公が、殺し大好き戦闘狂みたいじゃないですか!
一例として、テイルズとかだと戦闘中に「楽勝だぜ」「あら、もうおしまい?」「ちょろあまですね」などなどキャラが言いますね。
うーん。降りかかる火の粉を払ってんだか、好きでぶちのめしてるのか微妙なところです。
私はキャラ達に人間としての優しさを持たせたいので、ラスクロでは「魔物」とは「狂暴化した動物たち・あるいは異形のモノ」としています。
人間が我欲のために自然を破壊していくなかで、動物たちはすみかを失くし、すみかを奪った人間たちを強く憎みます。
一匹オオカミのごとく、自分だけで生きていけるよう身体が強固に進化した魔物たちは、
行くアテも変える場所もなく、ただフィールドやダンジョンを徘徊し、人間の到来を待ちぼうけします。
普段なら獲物の取り合いをする魔物達も、人間の姿を見つけようものなら、協力して狩りをしかけてくる・・・群れで襲い掛かってくる理由ですね。
住む場所がないので町から一歩出たらうろついてるわけですし、この設定を考えた時はそこそこウキウキでしたね(笑)
人間たちは、自分達が生み出しておいて自分たちで殺すという行為に、ためらいも感じるわけです。
また話がずれましたね。
どうも私は、「少し現実に通じる点が欲しい」という考え方をしてしまいます。
読んだこともないのであまり知りませんが、ソードアートオンラインでしたっけ。
あれは確か、オンラインゲームの中でお話が繰り広げられるんですよね?
(ファンの方へ、ここから先は憶測的な意見が入ったりします。お気を悪くされたら申し訳ございません)
現代の日本人ネットユーザー間ではなじみ深い、ゲームの世界にスポットライトを当てていて、おもしろい発想だなぁと思いました。
身近なものがテーマだと、お話が理解しやすいと思うんですよね。
騎士団とか魔王とか王国とか言われても、身近にないもんですからどうもパッとしないんです。
かといってRPGに現代の日本の要素を入れたら、それはそれはつまらんゲームになりそうです。
RPGにつきものなのが「魔法」ですよね。
これもまた非科学的でファンタジー感満載であり、いくらでもいじれます。
でも、どのRPGでも魔法とは「誰でも勉強すりゃ使えるんです。」という断定的な書き方が多く見受けられます。
多くのサイトで取り上げられてるため、今更何番煎じになるかも分からないネタを長々書くつもりはありませんが、
この「魔法」の定義や使い方にはもっとも頭を悩ませております。
でもなんだか結局長くなってしまいそうなので、このお話はまた次回に。